『赤鬼』

客電が落ちて舞台上の人物が一斉に躍り上がった瞬間、わあ幕が上がったという感覚になった。東京芸術劇場のシアターイースト、ほぼ地べたのステージを囲む客席になっていて実際の緞帳はない。1列目の前に飛沫拡散防止のビニール幕があったのだけれど、客席の明かりが消えた瞬間にそれも消えた。えっ片付けたんかい、と目を泳がせたよ冗談でなく。ペラペラしないよう下の端を縁取るように貼られていたテープ的なものが確認できて、こんなに透明になるんだーと感心した。遮るものがないかのような視界に、躍動する17人が流れ込んできた。
4種類のチーム編成で行われる公演で、私が観たのはTeam Aの千秋楽。木山廉彬のとんびは第一声からとんびだった。かつて観た野田秀樹のとんびの面影もあったと思う。まごうかたなきとんびがそこにいて、それだけで嬉しくなってしまった。再演の醍醐味かもしれない。最後の台詞はまた違った印象があって、野田とんびの語りは晴れた空みたいな底抜けの明るい響きでそれが心を締め付けたのだけど、今日のとんびは同じように語っていても台詞の通り絶望の意味を解り始めていて、それはこういったことに鈍感な者が、敏感であるが故に早く傷つき先にここを去る者を見つめている姿に見えた。あのシーン、私の席は丁度とんびの斜め後ろから妹の背中を見る位置で、とんびと同じ場所に立つ人間であるような気持ちになりました。それでいて、斜め前に立つとんびの語りを聞きながら、君が傷ついていない訳ではないだろうとも思っていた。言葉があること、或いはないことが感性のあるなしを決めることもあるけど、そうじゃないこともある。赤鬼のあの長い台詞を聞いて意味が入ってくることが余計わからなさも増やすし。Team Aの赤鬼は森田真和。赤ん坊のくだりで彼が見せた動きが最初に会場をドッと笑わせた。こんな状況でも客席の声が上がる時間は楽しい。夏子の演じたあの女はキリリとして小柄で、こんな華奢な少女が村中の人とあんな風に闘っていたんだなと噛みしめた。村人たちを演じる役者たちも皆はちきれんばかりに全力だった。可愛かったな。あんなに可愛いのに凄く嫌な言葉をかけてきたな。ミズカネの河内大和を見ながら、口なら負けないこの感じは現代でいうヒップホップの温度に近いなあなんて思っていた。この座組の四人組では彼ひとりヌッと大きくて、それもある種彼の寂しさを表していたと思う。『赤鬼』は寓話のようでいて結末にはなんというかやりきれない現実味がある。それでも何度も思い出して覚えていたいと思う。カーテンコールで拍手を送ることができて心底嬉しかった。心底ってこういう時使うんだな。