いだてん

最終回、18時と20時の2回見た。1回目は異常な、2回目は正常な態度で見ました。正常とはグエッグエッとか声を上げて泣いたりしないという意味です。正常でも心は打たれ続けていたよ。何せずっと見てきた。可児さんが徒歩部の監督だった頃も、カクさんが敏腕コーチだった頃も。いま、可児さんは御年90歳だし、カクさんはだいぶ皆川猿時である。作ってる人たちが皆川猿時を好き過ぎるのかカクさん最終的にはだいぶ皆川猿時の味になってたと思います。閉会式で各国選手が整列もせずスタジアムになだれ込んでしまって頭抱える様、史実ではこの混沌を松澤一鶴が狙って生み出したという説もあると番組公式サイトには書かれていて、そこにもう行けないほどこのカクさんは出来上がってしまっていた。それでも、ロサンゼルスで気が狂うほどに悩みながら采配を振っていた姿を私たちは忘れてない。東京でもブルーインパルス相手にノイローゼ発動していたな。彼の肉体を通して松澤さんの真面目さ優しさに触れることができた。「違う」けど「そう」だった。まーちゃんも四三さんもそう。金栗四三が思いを口に出さず書き溜めて時にネチネチとしていたこと、ストックホルムに向かうシベリア鉄道の頃から変わらない。本当にそうだったかわからないけれど、この人が小部屋のような慎ましい心と超人的な走力をその身に同居させていたことはわかった気がする。語られる数限りない実話がそうだったから。多分めちゃくちゃ考えてる、でも結果的にはただ走ってる。「なんも考えない」は難しいことだけれど、スポーツには一瞬それをさせる強さがあるのか。道への迷わなさ。いやストックホルムでは迷ったんだけども。自分の野性や創造性を解き放てる道を持っている人を、中村勘九郎を通して見るのはとても楽しかった。阿部サダヲ田畑政治に関しては、出てくる関係者が異口同音に似ていると答えている。イヤあんな人いないだろうと今でもちょっと思う。あんなスピードとスイッチで生きる人に誰も追いつけない。皆さん実際に追いつけないと感じていたのかもしれない。国から金をぶん取り、一種目モ失フナから始まった彼のオリンピックが辿る翻弄や矛盾は「選手以外」である私たちのオリンピックをいつも映し出していた。選手にも、そして大会を目にする全ての人にも、余計なこと考えずに楽しんでもらうために一番めちゃくちゃ考える。1964年東京大会に至るまでのあらゆる準備、本番当日に向けてその手の数が増えて加速していく様は痺れるものがあった。あの全てに携わっていこうとするなら、そりゃ時間が幾らあっても足りなかったことだろう。いつも「違う」と「そう」をすぐ出せるよう頬袋にためていたことだろう。あの日、競技場で起こっている現実と嘉納治五郎が運び込んだ夢を同時に同じ景色で見つめていた時間は、体感永遠のようだったけれどきっとほんの一瞬のこと。スポーツに勝るとも劣らない雄弁な一瞬だった。長くなってしまったので五りんのことはもういいか。史実の骨と筋肉でみちみちに詰まったその隙間を彼に集約される沢山の人が走っていたなあと思う。開会式の日に子ども生まれたんですってよ。次の聖火ランナーに、でも意外となれなかったりするんだろうな。