KERA・MAP『修道女たち』

ぴあのリセールチケット買って行きました。いい席。手数料フルで払った甲斐がある。そうそう購入した翌朝にケラリーノ・サンドロヴィッチ秋の紫綬褒章受章のニュースが流れました。
いい席といったのは前後左右もおおよそ真ん中くらいの席*1で、舞台全体をはっきり見渡すことができたから。プロジェクションマッピングも舞台装置もちょうど顔の幅というか視界に収まる。本多劇場の客席はいつものケラリーノ・サンドロヴィッチ作品と同様、開演直前にして静寂を極め、その客席力と美術全体、そしてストーリーテリングがちょうど顔の幅の掌になって私を掴み続けた。一幕を見終えて大きく息を吐き、二幕に入る前に比喩でなく大きく息を吸って暗転を迎えた。それでも帰りの電車まで頭がくらくらするほどに酸素を持っていかれた。ケラの海である。ケラ大海である。いずれにせよ関取みたいになってしまい申し訳ないが本当に深く潜るような3時間だった。ずっと怖かったし、何度も可笑しかったし、悲しさは悔しさを含んだ。叶わないとか敵わないとか、そういう悲しさである。信じることはそれについて迷うのを止めることで、その姿は美しく、そうありたいと思うこともあれば、それでいいのかよと思うものもある。オーネジーが意味もわからず覚えた長い祈りの言葉を懸命に唱えていた様子と、若きシスター・ソラーニが自分の言葉でままならなくも必死に語りかけるように祈っていた様子が、交互に思い出される。どっちだっていいんだっていう。おお意味よ。意味をふりかざすように問うてもぜんぜん届かないのだこういうとき。本人たちがあんなに幸せそうでも悔しいなんて、それこそ意味わからない話なんだろうな。自分の思うようにしたいだけなのかな。修道女たちは皆美しく自分らしさも持っていて素敵な人たちだった。話が進むとともに自分らしさがメリメリと表れだして、それでいてきちんと修道女だった。修道院長、伊勢志摩の伊勢志摩らしさの表れ方よ。みのすけの加減も見事だったな。あの世界や村を表すのを、一手に引き受けていた。鈴木浩介も相当なものを引き受けていたと思う。観ている私たちの分まで引き受けたからあの速さであのようなことになったのではないか。テオのことこれからも時々思い出すと思う。鈴木杏のオーネジーナイロン100℃の文法とまたちょっと違うエッセンスを持つ彼女が演じているのが、とても面白かったしドキドキしました。

*1:やや上手寄り。